Sunday, July 11
7月の徒然 ⑥
昨晩のこと、思考回路がぐちゃぐちゃになるような、頭の中で繰り広げられるとりとめもない物語の中で、大きな大きな轟を聞きました。
あまりにも大きなその轟は、音だけではなく振動としてもわたしの体をぶるぶると揺さぶっていて、わたしはその轟音と振動の中で進行する物語が、現実のものか空想のものなのか、その区別もつけられずにうんうんともがいていました。
わたしはカメラを持ってどこかに立っていて、自分のためにか、人のためにか、自発的にか、課された任務としてか、何かを撮ろうとしてました。
でも、脳いっぱいに響き渡る轟音と、足元を大きく揺さぶる振動にシャッターを押すこともできずに、ただただもがくしかなく、焦ったり、絶望したり、憤ったりしていました。
ふと心に決めて、試しに目を開けてみたら、それはやっぱり空想の世界、夢の中のお話だったのでした。
ただ、激しい稲妻と、大きな轟音は現実のもので、2匹と2人は、各々に呆然と、ひとつのベッドの上で寝ぼけ眼で座っていたのでした。
さて。
真夜中のあの出来事はなんだったのだろうかと不思議に思わざるをえないほどに、今朝も、あまりに清々しく、緑が美しく風に揺れています。
今日もまた、暑い午後になりそうです。
何かを思い出しそうな、でもはっきりと「あの時のあれ」とは思い出せないような、そんな柔らかい郷愁を誘うような匂い、というのがあります。
今日のポラロイドに写るビスケットが、ちょうどわたしにとってのそんな匂いを放つもののひとつ。
日本では確か、赤いパッケージで「マリー」とかいう名前で売られてたお菓子。
クッキーじゃなくて、ビスケット。
わたしはこのビスケットが大好きです。
おやつはほとんど食べないけど、でも何かおやつを食べるとしたら、このビスケットか、イチゴポッキーがいいな。
わたしはどちらかというと鼻はあまり良くないはずで、匂いに関してはとても鈍感なのだろうと自分でもあきらめていたんだけど、どうやらそうじゃないかもしれないな、と歳を経るごとに思うのです。
微妙な匂いを嗅ぎ分けられるというか。
心の中のココというポイントに到達する、1ミリのところで違う匂いについても厳しいというか。
でもそれは、嗅覚の問題だけではなく、記憶の問題も絡んでいる匂いのお話かもしれませんね。
そう言えば昨日、すももをいくつか、テントでお野菜や果物を売ってるお店で買ってきました。
ある時期の、ある熟し具合のすももは、ちょうど、わたしの心の中のココという部分を刺激するのですが、まさに昨日のすももはその匂いと味を持っていました。
きっと誰もがそれぞれに心に秘め続けている、幼い頃のぬるく、柔らかな思い出やイメージにつながる匂い。
そういう匂いとの遭遇は、日々の小さな喜びです。
チャオ!